タルタロス・ドリーム 死神編1


現実と非現実が入り交じったような不思議な世界で、プリンスは普通に学校に通っていた。
通学路に魔物が出てきたり、奇妙な物を落としたりするけれど、それ以外は平穏だ。
人間関係も悪くなく、授業も苦痛ではない。
ただ一つ、苦痛ではなくとも問題なことがあった。

「さあ、今日も冥界学の授業を始めよう・・・まずは教科書の10ページを開いて・・・」
そう言われて、全員がとりあえずは教科書を開き、ノートを準備する。
「今日は、生と死に関する内容だね・・・生あるものは必ず死に、その行く先は・・・」
教師の口調は静かで、まるで心地よい環境音のようだ。
最初のうちは背筋が伸びている生徒が多いものの、10分、20分と経つと脱落者が増えてきた。
内容が特別つまらないわけではなく、聞き心地のいい声にどうしても逆らえなくて
授業が半分も進まない内に、プリンスも爆睡していた。


気付けば授業終了の鐘が鳴り、大半の生徒がはっと目を覚ます。
教室に先生はおらず、今日もやってしまったと、プリンスは溜め息をついた。
冥界学の授業だけはどうしても眠たくなってしまって、ノートはまっさらだ。
先生の声を聞いていると、意識を保つ気力が吸いとられていく。
そんな先生についたあだ名は、死神だった。

肌は青白く、気配もなく現れる先生には、これ以上にないくらいぴったりなあだ名で
本人も気に入っているのか、生徒がうっかりそう呼んでも咎められなかった。

放課後、プリンスは眠気を覚ますためにわざと遠回りをし、適当な魔物と戦う。
わざわざ魔物を探してまで倒す生徒は、そうそういなかったけれど
たまに面白いものを落とすので、プリンスは積極的に戦闘していた。
こうして眠気を覚ましておかなければ、夕食も面倒になり弟が良い顔をしない。
魔物が落とす物の中には、弟の機嫌を取れるものもあって一石二鳥だった。

けれど、中には人魂やら、魔物の一部やら、扱いに困るものもある。
自分で倒した以上、放置しておくことはできなくて、とりあえず持って帰るけれど
奇妙すぎるものを弟に押し付けるわけにもいかず、しぶしぶ自分で持っていた。




翌日も、一応冥界学の授業を受けたプリンスだったが、正直起きていられる気がしない。
それでも、期末テストで0点を取らないために、受けないわけにはいかなかった。
何とか半分までは起きていたものの、やはり終盤になると寝てしまう。
昨日と同じく鐘の音で目を覚ましたとき、授業は終わっていた。

どうにかならないものかと思いつつ、プリンスは教室を出る。
今日も魔物と戦ってから帰ろうと職員室を通り過ぎたところで、死神と出会った。

「やあ、プリンス。今日の授業もよく寝ていたね・・・」
「あ・・・す、すみません。先生の声、聞き心地がよくて・・・」
「ふふ、ありがとう。・・・おや、君は中々面白そうなものを持っているね」
死神は、プリンスのポケットを指差す。

「あ・・・これですか」
プリンスは、悩ましげな顔をしてポケットから小さな羽を取り出す。
登校中に倒した魔物のものをつい拾ってしまったけれど、処理に困っていた。

「使い道に困っているのなら、譲ってもらえないかな?」
意外な申し出に、プリンスは目を丸くする。
「引き取ってもらえると助かりますけど、いいんですか?」
「ああ。魔物の一部は案外使えるからね、いろいろなことに・・・」
続きを聞くのがどことなく怖くて、プリンスは羽を差し出した。

「あの、他にも家にあるんですけど・・・持ってきてもいいですか」
「もちろん、こちらとしてもありがたい。明日、職員室で待っているよ・・・」
死神は羽を受け取り、職員室へ戻る。
いい処理場所が見つかったと、プリンスは上機嫌になっていた。


その帰り道、プリンスは良い気分を一瞬でかき消す相手と遭遇していた。
何体もの魔物を倒してきたが、それだけは苦手意識が拭えない。
「くっ・・・何でオレの前に立ち塞がるんだ、頼むからそこを退いてくれ!」
そう訴えても、相手は聞く耳持たずに近付いてくる。
「く、来るな、あっち行けよ・・・」
弱弱しい声で訴えても、相手は歩みを止めない。
そして、「にゃーん」と一声鳴き、プリンスに飛びかかった。

「ぎゃあああああー!」
プリンスはぎりぎりのところで猫をかわし、脱兎のごとく駆け出す。
どんな魔物よりも厄介な相手、それは、登下校中に遭遇する白猫だった。



昨日の一件でやや疲労していたけれど、帰宅する前にプリンスは職員室へ行く。
やや緊張して中に入ると、すぐに死神が出迎えた。
「来てくれたんだね、プリンス」
「はい。それで、渡したいものが結構あるんですけど・・・」
プリンスは、鞄を机の上にどさりと下ろす。

「ここでは何だし、理科室にでも行こうか・・・」
死神は鞄を軽々と持ち、プリンスと共に理科室へ移動する。
誰もいないことを確認すると、死神はプリンスの鞄をあさった。

「素晴らしい、役立ちそうなものばかりだ」
「助かりました。こんなものでよければ、いつでも持ってきます」
「ありがとう。せっかくだから、何か作ってみようか・・・」
死神はビーカーに魔物の一部を入れ、緑色の液体を注ぐ。
魔物はみるみるうちに溶け、液体が薄い水色になった。
海を思わせるような澄んだ色に、プリンスは見とれる。


「プリンス、腕を出してごらん」
「あ、はい」
言われるがままに、プリンスは袖をまくって腕を出す。
死神は水色の液体を指ですくい、プリンスの腕をなぞった。

「ひゃっ、冷たい」
氷が滑ったような感覚がして、腕が震える。
「これは、熱い時期にはうってつけだよ・・・」
そう言いつつ、死神の指はプリンスの腕を往復する。
指の腹でまんべんなくなぞられると、腕だけでなく背筋にも寒気がした。

「な、何で何度も触るんですか」
「綺麗なものに触れたくなるのは当然だろう?健康そうな肌だ・・・」
死神は指先だけでなく、掌もプリンスの腕に触れさせる。
優しくさすられ、プリンスはどぎまぎした。
そこで下校時の鐘が鳴り、死神は手を離す。

「ふふ、触りすぎたかな。よかったら、持って帰るといい」
「あ・・・ありがとうございます」
死神は液を小瓶に移し、プリンスに手渡す。
弟が風邪をひいたときにでも使おうと、一応受け取った。
そのとき、プリンスは死神の声を聞いているのに、眠たくないことに気付いた。
こうして会話をしているからかもしれないけれど、眠気が襲ってこない。
もしかしたら、こうして接していれば授業中も眠らなくてすむかもしれない。

「あの、また持ってきてもいいですか」
「もちろんだよ。いつでも、君のことを待っているよ・・・」
プリンスは一瞬どきりとし、理科室を出た。



今日は魔物の素材を集めるために、少し早起きして家を出る。
弟が驚いている中、何連戦しようかと意気込んでいたけれど
通学の途中で、思いもよらぬ場面に遭遇した。
目の前を黒猫がさっと横切り、プリンスは足を止める。
その猫が道路を横切ろうとしたとき、巨大なトラックが真っ直ぐに向かってきていた。

「お、おい、危ないぞ!」
黒猫はトラックに気付いたようだったが、足がすくんでいるのかその場から動こうとしない。
プリンスは葛藤したけれど、ほとんど反射的に道路へ飛び出していた。
さっと黒猫を腕に抱え、転げるように歩道へ戻る。
トラックはクラクションを鳴らしながら、通り過ぎて行った。

「はー、助かった・・・」
プリンスはぱっと黒猫を離し、歩道へ下ろす。
必死だったからか、いつものように奇声を上げて逃げ出さずに済んだ。
「まったく、道路を渡るときは気を付けろよ」
魔物を倒す時間がなくなってしまうと、プリンスは早足になる。
その背を、黒猫はじっと見詰めていた。


耳が慣れているかと思い、プリンスは今日も冥界学の授業を受けたが、結果は変わらなかった。
早起きして魔物を倒していたせいで、早々に眠ってしまう。
なら、もっと接して声に抵抗力をつければいいと、また職員室を訪れていた。
「先生、少しだけど今日も持ってきました」
「ありがとう。じゃあ、理科室に行こうか・・・」

理科室に着くと、死神は実験器具に魔物の一部を入れていく。
グロテスクなものを組み合わせているのに、完成したのは甘い香りのする薄桃色をした液体だった。
「それは何ですか?」
「これは、気力を回復させてくれる薬だよ。今日の君は、少し疲れているようだったからね」
察してくれたのかと、プリンスは嬉しくなる。

「ありがとうございます。実は今朝、轢かれそうになった猫を助けていたんです」
プリンスが液の入った試験管を受け取ろうとすると、死神は手を引く。
「直接口をつけるのは不衛生だよ」
「じゃあ、掌でいいです」
プリンスは、自分の掌にその液体を注いでくれることを期待していた。
けれど、液が落とされたのは、死神の掌の方だった。
思わぬ出来事に、プリンスは硬直する。


「零れ落ちない内に、飲むといい」
プリンスは躊躇ったけれど、一歩死神に近付く。
そして、差し出された掌へ、おずおずと舌を触れさせた。
ほんのりと甘い液体は、飲んだ瞬間に頭が冴える気がする。
けれど、今は羞恥心しか感じられなかった。

こんなことをしていいのだろうかと、プリンスは自分自身に問いかける。
それでも、液を舐め取るまで、死神から離れられなかった。
死神は目を細めてプリンスを見詰め、液体がなくなったところで手を引く。

「今のは簡易的なものだからさほど効果は高くないけれど、じっくり作ればもっと良いものができるよ」
「あ・・・そ、そう、なんですか」
プリンスがどぎまぎしていると、死神は手を洗い、器具を片付け始める。
「意地悪なことをしてすまない。また、来てくれるだろうか・・・」
「も、もちろんです。オレ、先生といると落ち着きますから」
死神の声がひときわ細くなったので、プリンスは反射的に応える。
心地良い声を間近で聞いていると、癒しを感じているのは事実だった。

「ありがとう。君が来てくれるのを、楽しみにしているよ・・・」
楽しみにしていると、そんな言葉を聞いて、プリンスはまた嬉しくなる。
明日は何体の魔物を倒してから登校しようかと、今から考えていた。




―後書き―
読んでいただきありがとうございました!
死神編はじまりはじまり、教師×生徒が書きたくて、つい←
ゲーム内ではいかがわしくはなりませんでしたが、最終話ではもちろん発禁にする予定です(*´Д`)